日本人が繋ぐベルリン・ベンチャーとの架け橋

ドイツの首都・ベルリンといえばヨーロッパ経済の拠点の一つだが、ここ数年においては起業の拠点にもなりつつある。また多額の投資が活発となるなど、大きな可能性を秘めている。そんなベルリンのベンチャー界隈に着目した日本人がいる。bistream UGの武田誠さんは現地の企業と連携し、国内の人材を紹介している。そんな武田さんがベルリンにかける思いを伺ってみた。
 
bistreamではどのように日本とベルリンをつなげていますか?

様々な方面で人材紹介を支援しています。提携しているリクルート・テクノロジーズ社からエンジニアを引き出し、ベルリンのスタートアップに半年ほど入ってもらっています。スタートアップは人間関係がフラットで砕けた雰囲気があり、コミュニケーションも全部英語だから鍛えられます。顧客のリクルート社に対しては人材開発サービスを、ベルリンのスタートアップに対してはその人材を使った開発サービスを提供する、というモデルです。bistreamで雇用する開発人材に対しては月給が支払われます。スタートアップに対しては、こちらの開発パワーと実際の「現場研修」のトレードオフ、でやっていますので、スタートアップ側は無料同然。人気は高いです。
また、研修機関中は(すなわちビザ発給のもととなる)bistreamで雇用を行い、スタートアップとの開発契約もbistreamと行うため、人材を派遣する日本のテクノロジー企業側は色々な意味でリスクがありません。強いて言えば、人材がそのままベルリンに残り、日本へ戻らない、という流出リスクですが、それに対してはテクノロジー企業側は自分の魅力をより高めるしかありません。
 
bistreamを始めたきっかけは?

始まりは、ベルリンのスタートアップ・シーンに飛び込んでみたかった、というリクルートの知人です。アメリカのシリコンバレーは競争の厳しいレッド・オーシャンだから、代わりにベルリンに行きたいと相談されました。
会社を作ったからには他にもいろいろやりたいと思い、国内エンジニア向けの「ベルリン研修プログラム」の提供のみならず、起業家志向を持つ学生もベルリンでのインターンとして入れたいです。ちょっとおしゃれな言い方をすれば、「ベルリンのスタートアップで学ぶ起業マインドとノウハウ」ということで、日本から一度外に出てみて、現地人と接点を作り、刺激を 日本に持ち帰ってもらうことを狙っています。
 
ベルリンならではの刺激とは?

人口は東京より少ない400万人弱ですが、その25%が25歳未満です。その上、敷地が広くて家賃も安いので、世界中から多様多彩なアーティストや学生を惹き付けています。英語もほぼ問題なく通じるので、国際的で住みやすいですよ。
音楽カルチャーの発信地で、テクノが生まれたのはベルリンだし、クラブやディスコの歴史には厚みがあります。ドイツは日本に似ていてちょっと保守的な国ですが、ルールが日本ほど細かくはないです。秩序がしっかりしていて安心して暮らせます。ベルリンは安全なのに、何をやっても許される街なんです。悪いことをする人はあんまりいない。秩序立っている。でも路上でパーティーを開くなどハチャメチャなこともできます。誰もあまり文句は言わないので、若い人たちが好きなことができる街です。
リッキーさんもそんなベルリンでインターンしてみますか?
 
学生はインターンでどのように貢献できますか?

日本に進出したいというスタートアップもいます。そうすると、国内の市場について知りたい。 でも日本語がないと情報は入手も発信もできない。日本の学生なら簡単な調査や日本語でのコミュニケーションはしっかりできる。学生から見れば、国外でインターンをすることで、帰国後の就活も有利になるかもしれない。スタートアップの創業者から推薦レターを書いてもらって、それが名のあるスタートアップだったりしたら、人事担当も「ほう」となるんじゃないでしょうか。海外留学もいいですが、海外のしかもスタートアップで勤めたことをアピールすれば響くものがあるはずです。イノベーションがらみで「スタートアップ」というキーワードも今はホットになっていますし、スタートアップ企業というものは大抵、情熱的でバリバリの働き者集団です。わざわざそういうところに飛び込んで自分を磨いた、というのは「差別化」手法としてあざやかかもしれませんよ。
 
ベルリンで起業家が増えていますが、起業にリスクは付き物です。もし失敗したら、どのような目で見られますか?

失敗しても、日本ほどは冷たい目で見られないと思います。ドイツも以前はかなり保守色が強かったのですが、今は変わろうとしています。失敗しても、その経験をバネに再チャレンジすることが大事だという意識を広げようとしているところです。事業としてダメになっても、新しい何かを生み出そうとして一生懸命がんばったという証明にはなるんじゃないでしょうか。
 
どうやってベルリンではスタートアップが注目されはじめましたか?

元々90年代にIT産業が一時的にバブル期を迎え、2000年ぐらいにばたばたと投資が冷めました。さらに2008年にはリーマンショックでドイツの景気も打撃を受けました。その結果、とくに産業基盤の弱いベルリンは永遠と思われる就職氷河期でした。失業率は一時20%近くまで上昇していました。その分、就職できないなら「自分でなんとかしよう」というメンタリティーを持つ人が増えました。ベルリンに住む人はベルリンが好きなんです。だから、収入が低くてもいいから、この面白い街に留まりたい。なんとかサバイバルの道を自分で開拓する。そして少しづつ景気が回復して来た頃に投資が入り始めたのが、今につながっているのでしょう。ベルリンが持っている最強のインフラは、「貧しい、されどオープンな都市としての歴史」、そして「経済的にはきついんだけどその街が好きでい続けたツワモノたち」だと思います。
 
ベルリン人の性格って自立心が強いんですね。

歴史を見ると、昔のベルリンはヨーロッパで最も豊な都市の一つでしたが、2つの世界大戦で叩かれて産業が潰れてしまいました。ベルリン出身のSiemens(シーメンス)もミュンヘンに移りましたし、大きな金融機関はフランスに行きました。大企業が存在せずに産業基盤が弱くなり、ほとんど小規模ビジネスとフリーランスばかりの街になりました。でも、自由を愛していて、何か成し遂げたい野心をもつ人間はちゃんと残りました。
おもてなしのサービス精神に慣れた日本人が行けば、ざっくばらんで、ときにぶっきらぼうですらあるベルリン人にカルチャーショックを受けるでしょう。僕が2000年に移住した時もそうでした。今は逆に、日本に来ると気持ちよすぎてショックを受けます。日本の外に一歩出てみると、日本がいかに暮らしやすい場所だったか分かると思います。でもその暮らしやすさの為に、自分が実は多大な犠牲を払っていることにもきっと気づくのです。居心地がいい日本に帰りたいと思う人も多いですが、頑張ってベルリンに長居すれば誰も構ってくれない自由の中で自分を発見できるはずです。それをどう自分の人生に生かすか、そして場合によっては日本へ返してゆくか、ひとりひとりが出す答えにぼくはワクワクしています。
 
bitsteam UG http://bistream.jimdo.com/

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武田誠さんプロフィール

1971年、東京生まれ。国際基督教大学(ICU)、東京大学大学院を経てベルリン自由大学留学。2013年にbistreamを起業、現在に至る。

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ローランド リチャード

ローランド リチャード

1994年、東京生まれ。大学時代にリッキーレポートを始める。現在は会社勤めしている。 社会人生活を始めてから更新が途絶えるものの、また新しい記事を投稿したい思いを持っていた。

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